ヤングケアラーと言うワードに出会った時の衝撃
私自身が数年前に
自分はこのヤングケアラーと言う部類に入るかもしれない
そう思いながら、ネットで色々な方々の経験談を探し回り読み漁りました。当時、母を亡くして色々な意味で心にぽっかりと穴が開いた状況の日々・・・
喪失感とも違う、悲しみとも違う、モヤっとした感情を持て余しながら、
長い介護生活
看取り
など、検索を繰り返していると、
ヤングケアラー
と言うワードに当たったのです。

ん?何?この言葉は初めて聞いたけど・・・
少し前に
ダブルケア
という言葉は知っていて、自分がこれに当たるんだろうな、とは感じていましたが、このヤングケアラーと言うワードに出会って、
幼い頃から介護をしていた私のような人がいるの?
と言う驚きと、探し求めていた仲間に出会ったような衝撃を受けたのを覚えています。モヤっと感の中に、自分が32年の介護生活で出来なかったことや失ったもの等に、母亡き後に気づき、それを取り戻すことはもうできないと言う諦めや、この先の人生をどう生きていいのかがわからず、同じような経験をした人たちを探し求めていたのです。
そのワードを検索し同じような方々の経験談を知った時、ようやく色々なモヤモヤした感情から少しだけ解放された気がしたのです。
ケアはなかなか表面化されにくい社会課題だからこそ・・・
有難いことにブログやSNSで母との介護生活を発信するようになり、
私もケアラーです
私は元ヤングケアラーでした
など、色々な方々からのメッセージを頂くことが増え、私にとっても元気や勇気などのプラスになるような場を頂いた気がします。ただ、色々な人たちの経験を拝見するたびに、
当たり前だけど100人いれば100通りのケアラーやヤングカラーがいる
皆さん、それぞれの生活の中で必死に頑張ってきた
と言う事を改めて知るのです。

中には、
ケアは当たり前で特別な事でもあえて理解するようなことでもない
家族介護は子どもであっても手伝いあうのが当たり前、何が課題なのか?
家族で介護するのは昔からある日本の古き良き風習では?
と言う厳しい意見も頂きました。理解できないのではなく、想像を超えたケアラーやヤングケアラーが大勢いる現状を知る機会がないという事が要因なのだろうとも感じたのです。
また、時代が昭和時代の家族介護という形に即さない、核家族化や生涯独身者が増えているなど、色々な社会課題を含みながらケアの形も変わっていかなくてはいけないと言う事もあるのです。
生活の中心がケアで、子供であれば学校生活や進学や就職をあきらめてまでもケアが必要な家庭だったり、仕事を辞めて生活保護を受けるような状況でのケアラーだったり、ケアが生活の中心にならざるを得ない状況もあるという事をなかなか知る機会はありません。それは家族ごとの問題であって、ある意味密室な空間での生活の一部だからです。
だからこそ、現在の社会の中に取り巻くケアラー課題を知ってもらい必要があり、そこから考えて行く必要があると感じています。
出会ったヤングケアラーの子ども達やケアラーの方々に共通するワード
私自身もヤングケアラー家庭やケアラーの方からの相談を受けるなど、色々なケアラーの方々の生活や現状をを見聞きしてきました。共通して見えたのは
孤独感

これは私自身もずっと感じてきた感情です。私の場合、その孤独感は次第に
諦め
へと変わっていきました。
どうせ誰にも相談できないし、相談しても何も変わらないし、家族の事だから仕方がない。
孤独の中に諦めがあり、それは常に当たり前の感情として私の中にありました。麻痺していたかもしれません。母亡き後に感じた
心のモヤっと感
これは、孤独と諦めだったのかもしれません。学生時代のヤングケアラー時代にSNSが今のように普及していたら、私はきっと色々と調べながら同じような経験者の話に少しでも救われていたかもしれない?そんなことを考えます。
色々なケアの声を届けていきたい
このサイトで新たに
ケアラー、ヤングケアラーなど、様々なケアを経験した、あるいは今も経験している方々の声を届けていこうと思います。

※ 対面、ZOOM等、あるいはお電話などでのインタビュー形式、若しくはメールにてのやり取りでご無理のないような方法を取らせていただきます。
※ 遠方の方や対面は難しい方はZOOMなどで取材させていただきます。(1時間から2時間程度・メールなら数回のやり取りになります。)
※ お顔出し、名前、住んでいる地域などはわからないように、伏せての公開となります。逆にお名前顔出しOKの方はお申し出ください。
ご協力いただける方は
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