介護の仕事は大変なのか?

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私が高齢者介護の仕事に就いたワケ

私は現在、児童福祉の仕事に就いています。元々保育士で、発達障がい児や障がい者の分野での仕事経歴が長く、高齢者の介護業務は10年も就いていません。現在は保育関係、障害の分野の相談支援(介護でいうケアマネと同じような業務)の仕事に就いています。障害の分野でも当然介護業務はあり、障害のある方々の介護を行ってきました。

その中で高齢者の介護に就いた理由として、母の介護から学んだことや、母の介護に生かせることを学びたい思いと、元々、高齢者の介護業務に興味があったことからでした。介護福祉士の資格を取得する前に、まだ時代的に保育士の資格で介護の仕事に就ける時代、特別養護老人ホームでレクレーション担当として高齢者の方々と触れ合った経験から、身体介護も学びたかったのです。その後、ヘルパーを取得し、実務経験を経て介護福祉士の国家資格を取得しました。介護業務、特に高齢者にとって介護を受けるということはその方の生活の一部分を垣間見させていただくということを高齢者の方の介護を通して学びました。

高齢者介護の仕事で見えたこと

高齢者の介護業務において、いつも念頭に置いていたこと・・・それは、その方が出来ることを、こちらがやってしまわないということ・・・それは母の介護でも学びました。出来ることを、こちらがやってしまうことで、見る見るうちに身体機能や認知機能が低下してしまう、ということを目の当たりにしたからです。介護の業務の中でも諸先輩達から教えてもらい、学びましたが、現実そんな高齢者の方を見ていると、高齢者は日々様々な機能が少しずつ低下している・・・それをこちらが見極めながら、できること少し頑張ればできることは見守りながらいることも大事なのです。児童福祉の業務ではその考えは真逆で、経験値が少ないために、できることを増やすためには、まずはその子の成長過程を把握しながらチャレンジさせるのです。

高齢者の介護は奥が深いと思いました。出来ることはご自身でやっていただく、それを見守るこちら側が、とてももどかしくついつい手を出してしまいがちになってしまうのです。

母もまた、同じでした。こちらが忙しいとついついやってしまいがちですが、母はそれを嫌がりました。要するに介護されているという関りが嫌だったからです。

とある施設で、介護保険に切り替わったばかりのまだお若い男性の方が入所されていました。うちの父よりもお若い方でした。その方はご病気で右足を失ってしまい、長年自宅で過ごされていましたがご家族のご希望で、迷惑をかけたくないからという思いもあり、入所をされたといいます。その方はご自身で出来ることが多く、こちらは見守る程度で、大丈夫な方だったので施設内でも職員は安心しきって見守りという名目でその方の介護は後回しにしてしまっていました。

ある日、その方は室内でベッドから車いすへ移乗するときに謝って転倒してしまいました。個室でしたので、他の職員が様子を見に行った時には転倒から時間が経っており、肩を痛めてしまったのです。

幸いなことに肩を打撲程度で済みましたが、職員間でご自身で出来ることに職員が甘えていることを反省し、常にどんな状態の方でも目配りは忘れないように、そして、その方のようについつい出来るからと言って安心しきってしまうことは今回の事故につ繋がるということを再度話し合ったのです。当時私は、ヘルパーではなく保育士としてレクレーション担当のパート職員だったので身体介護にはほぼノータッチでしたが、介護の大変さを現場で身近に学ばせていただき、例えレクレーション担当でも、介護業務は介護業務、私達レクレーション担当職員でもついついお元気な方にはあまり目をかけていないかもしれなかったと反省しました。介護は出来るだろう、大丈夫だろう、が怪我や事故に繋がりやすいということを学びました。

介護はお年寄りの身の回りのお世話をするだけの仕事か?

保育士の仕事をしていた時も言われました。

子供の身の回りの世話をするだけの楽な仕事でしょ

まだ保母という名称の資格の時です。保育士という名称に変わっても未だにそう思われがちです。介護の仕事もまだ介護福祉士という国家資格が出来たばかりで、保育士や無資格でも高齢者介護業務の仕事に就くことが出来ていた時代は、こう言われがちでした。

お年寄りのお世話をするのは体的にしんどいけど、他の仕事と違って流れ作業だから楽ですよね

これも怒りがわきました。同じ医療や福祉職の違う職種の方達からそう思われがちでした。私の友人知人の中では、そんな職場環境に疲れて職場を去った人がたちが沢山います。

高齢者も児童もそんなことは全くないというのは今の世の中知っている方は多くいます。逆に賃金に見合わない業務に敬遠されがちな職種になってしまいました。介護を行うにあたって、その方の見通しを持った介護計画は必須です。医療的な視点や、長年の業務経験などを活かしながら介護技術を駆使して介護にあたります。体だけでなく頭もフル回転です。常に学ばなくてはいけないほど高齢者の成果は変わっていきます。介護保険や、制度、技術に至っても新しい介護技術を学んでいかなくてはいけません。

私は障がい者の施設で勤務していた時、常に介護技術の研修を受けてそれを現場の中で生かしていくのに必死でした。それを学ばないと利用者様の命に関わることもあるからです。

介護業務は一見すると、身体介護がメインで毎日その業務に追われているように見えますが、それ以外の業務は山のようにあります。

介護業務の経験が母の介護に生かされた

母の介護は介護業務とは全く違う『家族としての私情』が入ります。生活のなのです。母の介護に行き詰まる大きな原因のひとつは

メンタルの介護

でした。母の精神状態のアップダウンに家族として関わると、いつも喧嘩になってしまいます。そんな関りをしていると自分自身が病みそうでした。

通所の施設で働いていた時に、認知症の方々とのコミュニケーションの方法を学びました。穏やかな日もあれば、朝からご機嫌が良くない日もある認知症の方々・・・

入浴や食事など場面の切り替えに暴言を吐いたり、時には手を挙げそうにある方に対しては、気持ちを一旦受け止めながら、違う話に切り替えたりすることでその方は何事もなかったかのように食事や入浴に向かいます。また、ある方はトイレに行きたがらない・・・おむつは完全拒否なので当然尿失禁が度々あります。でも、その方曰く、

今は行きたくないの。自分で行けるから放っておいて!

実際は歩行は困難でほんの2メートルほど離れたトイレに歩いて行くまでに、20分ほどもかかるのですが、杖も車いすも拒否されます。そうこうしているうちに、失禁されるのです。職員間ではいかにご本人のプライドを傷つけずに排泄へ誘うかを日々話し合いました。そこで、ご本人が好きな演歌歌手の方のコンサートに行くから早めにトイレに行きましょうと誘ったり、ご自身がお好きなことでお誘いするようにしたりと工夫しながら声をかけました。

でも、そんな『嘘』は何回か使うと見破られてしまい、逆にその方の逆鱗に触れてしまうことも度々あったのです。

認知症の方は、ご自身の思いはちゃんと持っていらっしゃいます。母もまた、精神状態が不安定な時、母の自尊心を奪わないようなかかわり方を認知症の方々を通して学ばせていただきながら、あの手この手で母の介護を行ってきました。特に母に対して私情が入り、怒りが収まらないときは

この方は施設に入所されている利用者様

と自分に言い聞かせ、親と思わないことで自分の感情を抑えて介護にあたっていたこともありました。そうしないと自分の感情が抑えきれないときもあったのです。

介護はその方の心情をも考えながら色々な方面からアプローチすることも大切だと学びました。

終わりに

母の介護を通して、また、介護の仕事を通して、介護の仕事は大変なこともあるけれども、とてもやりがいを感じていました。

コロナ禍で、医療同様介護業界は介護職員の退職が増加傾向にあるといいます。それは、業務に見合わない雇用体制が大きいとも言われています。実際、介護の仕事は雇用体系が少しずつ改善されてはいるものの、実際業務内容に見合った対価としては支払われていないというのが現実です。そんな中にコロナという、先の見えないウィルスと共存しなくてはいけないという大きな壁に立ちはだかり、介護業界はさらに命の重みを感じることとなります。介護業務についている友人知人は、このコロナ禍で毎日自分の命を守りながら、高齢者の命をも守らないプレッシャーに不安ばかりが募る、といいます。退職を考えている人もいました。見えない敵だからこそ、どこに潜んでいるかがわからないために、毎日家と職場の往復しかできないとも言います。

こんな情勢の中、介護の仕事は大変なのか?と聞かれると半数以上の人が今の情勢を加味すると大変と答えるかもしれません。

命を預かる仕事なだけに介護業務の責任の重みを感じるのです。

このコロナ禍で、新しい介護の在り方、命の守り方、そして、待遇の在り方を再び見直す時期に来ているのだと感じています。

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