家族介護という選択

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在宅で介護するということ

親を介護することが決まると、在宅か?施設か?という課題が出てきます。生活スタイルによっては在宅での介護は難しい場合も多いのです。でも、ご本人は施設ではなく在宅で過ごしたいという思いもあるかもしれません。家族で介護をするということは、色々な課題やご本人とご家族の思いの相違が出てきます。その中でお互いにどこで折り合いをつけるかが、その先の介護に繋がり家族の関係性にも大きく影響していくのです。

私の母は、パーキンソン病を発症してから15年ちょっとは自宅で過ごしていました。その間、私や父が母の介護を担っていたのです。母もまだ自分で出来ることは多かったので、最初の頃は身体的な介護よりも精神的な介護の負担の方が割合を占めていました。

母は当然ながら自宅で最期まで過ごしたい、という思いが強く、父も出来る限り母の意向に沿っていきたい思いがありました、が、父が仕事と介護で寝る時間も無くなり体調を崩したことがきっかけで、在宅か、施設か?という選択をせざるを得ない状況になったのです。本来なら在宅でも看取りまで過ごすことは可能ですが、家族の思いがそこに至っていなくては、ご本人が在宅で過ごすことを希望されても難しいこともあるのです。我が家は、母の介護度が進み、昼夜問わず目が離せなくなったことと、父に癌が見つかったこと、私もシングルマザーで幼い子供たちを抱えてダブルケアをしている大変さから、施設入所という選択肢を考えるようになったのです。

母の思いと父、私達子供の思い

母は最期まで入所することに拒否を示していましたが、父の病気をきっかけにやっぱりこれ以上は父に負担をかけたくないなどの思いから、自ら入所を申し出ました。それ以前に私や兄からも施設のことを話したりする機会も設けたはいたのですが、物事を何でも否定的に捉える母と話はいつも平行線のままでした。

あんたたちは私を家から追い出したいんでしょ!?

あなたが仕事を辞めて、お父さんと私の傍にいて面倒を見てくれるのが一番だと思うけど。それすらも嫌なんだね!

母は元々否定的な感情で物事を捉える性格なので自分の思いとは違うとなると、否定的に自分がいかに不幸化をアピールしてくることが度々ありました。母にとってこの家で家族の手を借りながら最期まで過ごすことが願いだとはわかっていても、現状的にどうしても難しいということを理解してもらうのは現実的ではありませんでした。かといって、在宅で過ごすために、ヘルパーなどの手をもっと手厚くして、せめて私や父がいない日中や、父がきちんと睡眠を確保できるように夜中にヘルパーに入ってもらうことなどを提案しても、完全拒否でした。

お父さんが夜眠れるようにするには、あなたが夜中にうちに来て私が体調が悪いときに手伝ってくれたらいい

日中はお父さんやあなたが仕事でいなくても、私1人で大丈夫だから(この時すでにトイレなどに1人で行って転倒し何時間も動けず体中にあざを作ったり、肩を骨折するなどの事故があったのです。)

と現実的ではない話をしてきます。

父も病気から一気に気落ちしてしまい、自分の体力に限界を感じていたのでした。

家族の思いとご本人の思いの相違は我が家だけでなく、どこのご家庭にでも考えらられることだと思います。私自身、もっと早い段階で両親と話をしておくべきだったと思いました。

介護離職をしてでも在宅で介護をすべきか?

介護離職をして、生活保護をもらいながら家族の介護にあたっているご家庭を見てきました。その中には、生活に困窮し生活保護をもらいながら、毎日爪に火を点すような生活をしているご家庭もあったのです。

また、とある方は、義理の親と自分の親の介護にご主人と交代でお互いの家を毎日のように行き来して在宅介護をしているご夫婦がいました。ご主人も介護休暇を取得したり、奥様だけに任せないようにしていましたが、ある日、奥様に癌が見つかり入院を余儀なくすることとなりお互いの両親をどうするかで随分と悩まれました。結局、自分の親は施設入所を希望し、妻の親はヘルパーの手を厚くして在宅で出来る限り頑張ってみることにしたのです。その後、奥様は1年にもわたる闘病生活を終え、家に戻りましたが、もう以前のように動き回ることも出来なくなり、奥様のご両親も施設へ入所されたのです。

介護のために仕事を辞めざるを得ない人たちは年々増加傾向にあります。離職をする前にいったん立ち止まって離職しない方法で介護ができないかを考えることも必要になります。会社によっては、介護休暇制度を設けていたり、休職という形で一定期間職場を休むことが出来る企業もあります。

中には、介護休暇があるけれども、公には認めておらず

その制度を利用するなら、戻ってきても席はないかもしれないよ

と脅しにも聞こえるような扱いを受けた方もいるようです。介護休暇制度は今やどの企業でも『取得する権利』があります。その制度が使えない、使っても嫌な顔をされてしまうなどの理由から、離職という選択を取る方も実際にいらっしゃるのです。

介護休暇制度を利用せずとも、在宅での介護サービスを利用しつつお互いに納得できる形で在宅介護を続けることは可能なのです。

家族介護はお互いの見てこなかった姿を見せられることも

例え親や身内といえども、家族で介護にあたるということは、今まで以上に良くも悪くもお互いの見てこなかった姿を見せられるのだと、私は思っています。

母が介護が必要になったときに、母の今まで見たことのなかった、我が子よりも、孫よりも夫よりも自分が大事という姿が時折見え隠れしました。それは生活の中でのほんの些細な場面だったり、母の言動で見聞きしたりしました。母も1人の人間・・・親子という枠を外さないと介護はできない、そんなことを感じて介護にあたってたのです。

母だから、娘だから、という枠の中でお互いに毎日顔を突き合わせていると、とてもとても疲れます。1人の人間として向き合うことで、どこか他人事のような感覚で関わることが出来、気持ちが楽になったりもしました。

母は、

娘だから何を言ってもいいし、何をお願いしても、聞いてもらうことが当たり前

という思いが常にありました。それが断られたとき出来ないと拒否されたとき、母自身の本来の人間性がむき出しになる場面も多々あったのです。

それは、父から聞かされることもありました。私を『対:女』としてライバル視しているな、と感じる言動だったりもします。父と親子仲良くしている姿に嫉妬をしていると思われる言動もあったりもしました。今まで気づかなかったのかもしれない母の女としての姿でした。

家族介護を通して、マイナスだけでなくプラスを見出すこともありますし、毎日生活をしていくうえでプラスを見つけることも必要になってくる場面もあったりもします。

それは、家族の見えてこなかった姿に戸惑ったり、見直したり、色々な姿に新たな家族の絆が生まれる場合もあるのです。

終わりに

在宅で介護をすることは、色々な課題が伴います。でも、介護する家族が犠牲になったり、介護してもらう側が犠牲になるという偏った形ではいけないと思うのです。お互いに、全てを納得した上でということは難しいかもしれませんが、お互いがお互いをどのように思っているか、どのようにこの先生活をしていきたいかをすり合わせて行く必要があるのだと感じました。

我が家は母の思いに沿った形での在宅介護はできませんでしたし、父が倒れたことで母が自ら家を出て施設に入所することを望んだということになりましたが、結局は母自身は納得はしていませんでした、私が仕事を辞めて父と母の2人のお世話をすることを強く望んでいたのです。でも、それはあまりにも現実的ではないこと、母の一方的な想いだけということから、お互いに歩み寄ったつもりで、この結論に至りました。

最期に母が入所した施設で

最期は自宅で死にたい

という言葉をぽつりと言った母・・・体力も落ちてきて、ほぼ寝たきりになった母を見て、最期くらい自宅で過ごしてもらってもいいのかもしれない、もう末期症状なのだから何年も自宅で過ごせるわけではない母の願いを叶えてあげてもいいのかもしれない、そう思ったこともありました。でも、以外にもあんなに在宅で介護を頑張ってきた父が体力的に毎日は難しいと、本音を漏らしたことで実現しませんでした。

父もぎりぎりの中で、母の介護を担っていたこと、入院、入所してからの残りの15年とちょっとの年月の中で、夏や冬に長く外泊をしてくる母につきっきりで夜中も一睡もできない日もありながらも1週間ほどだから、と言って必死に母を見ていた姿に、あの短い期間でさえ、母が病院や施設に戻ると寝込んだり疲れ切っていた姿を考えると、確かに最期とはいえ、看取りまでの短い期間でも在宅でとはいかないな・・・と感じたのでした。

国は在宅介護を推し勧めています。が、それが家族の生活や人生をひっ迫してまですることとは私は思えません。介護職の方の中にも、在宅を勧めている方もいます。それがその家族にとっていいのか悪いのかは、状況によって違います。介護してもらう方が可哀そう、施設入所は墓場、という介護職の方の声も聴いたりしますが、本当にそうでしょうか?

施設で思いを持って、介護業務に当たられている職員の方にも失礼だな、と思ったりもします。

施設か在宅か?それを判断するのはご家族内・・・国の意向や周りの声ではなく、当事者であるご家族が決断することなのです。

母が施設に入所するとき、母のケアマネから遠回しにかわいそうと言われました。その言葉は介護してきた私たちにとって突き刺さるような言葉でした。母の思いは自宅にありましたが、母と話し合って母がある程度納得、半ばあきらめて決めた私たち家族の決断です。それをかわいそうという専門職にあるまじき言葉にがっかりしました。

家族介護はまだまだ課題があります。国の対応もこれで十分とは言えませんが、どの選択が家族皆にとって良いのかを、まだ先とは思わず少しずつ話し合っていくことをお勧めします。

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