母を看取る時、私は家族の意見を取りまとめるキーパーソンと言う立場にありました。最終的な判断は私に委ねられます。
母の時は最初は父、後半は私でした。母は最期の医療機関で命の期限を迫られました。
つまり延命治療をするか?しないか?です。
入院する時に記載する書類にその項目があり父や兄と話して
延命治療をしない
にチェックを入れましたが、いざその時が来ると、再確認も含めてキーパーソンに意思確認をするのです。
父も当初は延命治療をしなくていいという思いが強かったのですが、母が衰弱してきた経緯が誤嚥による肺炎で、食べ物が食べられなくなったことによる衰弱と言うことから、肺炎を治療し、治ったら食事もでき、体力も回復すると思っていました。
ばあちゃんはまだ食べられる何で絶食させるんだ?!
その説明を何度も何度も医師からもしてもらいましたが
の時から認知面が低下していたのでしょうね・・・理解できませんでした。
こっそり、家から小さなタッパーに母の好きなおかずを刻んだものを持ってきて病室で看護師がいない時を見計らって食べさせていたのです。
当然看護師たちは知らないわけもなく何度か注意をされましたが、その度に父は
そんなことしていない
と嘘をつきます。
しまいには私が医師と看護師に呼び出されて
これ以上続くと退院してもらいます
と言われ、父に伝えると、ぴったりやらなくなった、と言う経緯もありました。
最後は、父が食べさせたことによる誤嚥性の肺炎が更に悪化し(父は自分のせいだとは思ってはいませんが)意識ももうろうとするのを見て
こんな苦しんでいる姿見たくない
もう治療はしないでほしい
気管切開をして気管に管を入れたり、自力排泄が出来なくなり、導尿をする母の姿を見て、違う意味で延命治療を諦めたのです。
終末期です
と言われて色々と覚悟はしていたものの母の命の期限をキーパーソンである私に委ねられることは毒親と言えどもとても辛い事でした。

終末期に対して、家族として何らかの選択を迫られる時が来ます。
私のように認知面の低下した親を抱えている人は、誰の意見を尊重したらいいのかを迷うこともあるでしょう。
幸い兄がいてくれたおかげで、2人の意見を一致させることが出来、正直私自身が自分だけの決断じゃない、と気持ちが楽になることが出来ました。
ある意味、自分1人の責任にはしたくなかったのです。
母亡き後、認知面の低下した父は
あの時もっと食事をとらせていれば
ばあちゃんは衰弱して
亡くなることはなかった
と憤りをあらわにしたり
もっとこっそり食べさておけばよかった
↑
さんざん注意されて
退院してください!とも言われたのにすっかり忘れている
病院を変わればよかった
↑
特養を申しこんでいましたし、何処も満床で入れないという話もしていました
家に連れて帰ればよかった
↑
父がもう在宅では無理と言ったはずですがいつしか、私と兄が在宅は無理と言って施設へ入所させたことになっていました
父なりに理解できない範囲の事を想い後悔しているようでした。
そして、認知面の低下と共に記憶が書き換えられており、
今は
天寿を全うしたと思っています。
でも、本当に父は献身的に母に尽くしたと思います。
終末期をどう過ごすか?
本人の意思を元気なうちに聞いておいたとしてもいざという時になると、やはり様々な事情からその願いを叶えてあげることは出来ない場合も多々あります。
そして、残された家族の中で意見の食い違いを一致させることがなかなか出来ない事もあるのです。
だからこそ、第三者の意見を聞くことはとても重要だと感じました。
母が逝く最期まで、寄り添ってくれた1人の看護師さんには助けられました。
泣いている私の背中をそっとさすってくれながら
一緒に考えていきましょう
と言ってくれたことは心の支えになりました。
介護は先が見えません。
とある介護従事者の中には
施設に入れることは悪
最期は在宅で
のような発言をされて、どうしたらこんな発言が出来るのかと頭をかしげることもありますが、
ご本人の思いと家族の事情から最期をどこで過ごすかは当然ながら色々で、
施設が悪
と言う理由がわかりません。
そして、看取りをする家族にとっても私のように毒親だって悲しく切ないのです。
延命治療や最期の迎え方、
家族を看取る
ということはどういうことなのかを母を通して色々と学ばせてもらった気がします。




