母が重い、母娘との確執に悩みながら介護をされている方へ

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母と娘、永遠のライバル?

私がこのテーマでこのサイトを運営していることで、毒親と言う言葉に色々な反応をいただくことがあります。介護=親孝行と言う構図があるからでしょうか・・・私は親孝行と言うよりも毒母を看取ったことを記事として綴らせていただいています。それが親孝行だったかは未だわかりません。でも、ひとつ言えることは、結果論ですが毒親と思われる母を看取って送り出したことは良かった、と言う事です。

母が毒親だったのは私が物心ついた時からです。

そんな母が若年性のパーキンソン病になり、32年にも渡って闘病してきた母を介護してきました。

自分が介護が必要な状態になったら我が子に頼る親が多いのは当然と言えば当然でしょう。その中でも息子よりも娘に頼りたいという親は多いのです。特に母親は娘には頼みやすいというのはわかる気がします。母と娘は永遠のライバルと言う言葉も聞いたことがありますが、正に母は娘を自分の思うとおりに育てたい思いは良くも悪くもあるようです。それが顕著に表れるかどうかは人それぞれ・・・母は同性であるがゆえに自分を理解してくれるであろう娘に色々なことを頼みやすいのかもしれません。息子ではダメなんですね。

何も問題がない母娘関係はない

長い親子関係の中で、親の介護にあたり何も問題がない関係性はないと思います。特に母と娘の関係性の中で私のように母親との関係性があまりよくない状態での母親の介護は決断するには色々な問題や悩みなどの課題が多く生じてきます。

私は、母が10代後半の時に病気がわかり、一生付き合っていかない病だと知ったことや、病状がじわじわと進行してきた中で介護が生活の中に普通にあったことから、いざ介護、と言う状態ではなかったという流れもあります。まだ若い年齢だったので、将来的に母の介護を担わなければいけないという緊迫した思いは当初は全くありませんでした。それよりも母との関係性の悪化の方が私にとっては深刻で、パーキンソン病の体調のアップダウンが精神的な面でも見られ、その日その日の母の顔色を伺うことの方が重要だったのです。でも、常に母には

ゆくゆくはお母さんは動けなくなるからお前がお母さんの介護をするんだよ

と言われていました。

何言ってんの!?そんな気ないし!私はこの家を出て遠くで生活するの!

と、母と言い争うことも度々ありました。母にとっては私は自分の一部のような気でいたことは幼いころから何となく感じており、何をするにも母のお伺いを立てていたので、母にとっては自分の一部に自分の面倒を見てもらうことは当然という考えが常にあったのはよくわかっていました。

親子の問題が介護の問題へと繋がるということは全くないとは言い切れないと、自分の経験や介護の仕事を通して感じてきました。母と娘の場合においてはそれは色々な面で深い気がします。

毒母を介護しますか?それとも・・・

私は母の介護を本格的に行わなくてはいけないという現実に直面したのは結婚してからです。当時実家からは遠い、飛行機で移動しなくてはいけなような距離の場所に住んでおり、その頃から母の病状は一気に進行していきました。転倒して肩を骨折したり、階段から落ちたりと、ケガが絶えなくなり、歩行が次第に困難になっていたのです。当時まだ幼い我が子を連れて。夏や冬は長期で帰省し、母が動けない分、家事をしたり母の介護も少しずつ行うようになってきたのです。でもどこかで自分の中で、一時だけ頑張れば、と言う思いがあり、また自分の生活に戻ると母のことは父任せにしていたのです。でも、どこかでこのまま母の病状が進んだら、父の負担が重くなることと、父がもし倒れたら母の面倒を誰が見るんだろう?という切迫感は常にありました。

父の介護はしても、母の介護は出来ればしたくない。母は出来るだけ早く施設に入所させたい。

誰にも話せない心の声がいつも響いていたのです。それはやはり、先にも書いたように長年の母から受けた様々な言動の数々でした。

どの家庭でも親子関係の問題はよくあること

とあるカウンセリングに行ったときにそう言われたことがあります。それはわかる・・・でも、うちはそれ以上に色々な母との確執があって、私は死にたいほど苦しいんだよ!!そんな思いがあっても、そうですか・・・ではもっと母に寄り添ってみます、と言うだけでした。そのうち私は離婚して実家に戻ってきました。

そこから、本格的な介護負担が始まったのです。

四六時中時間や状況関係なく母から呼び出され、離婚したてのことを延々と責められる、そのあとは自分がいかに辛いかを訴えられ

お父さんには言うんじゃないよ!

念を押される。きっと母自身も心のどこかで娘の私に八つ当たりをしていると感じていたからこそ、父にはその現実を見られたくなく、知られたくなかったのかもしれません。

子育てには常にダメ出しをされ、まだ幼い子供たちに向かって

こんなお母さんに育てられてあなたたちは可愛そうね

と本気で泣かれる。まだ小学校1年生だった上の子はきょとんとした顔で母を見つめているのを今でも覚えています。結婚目に実家に住んでいた時の介護とは比べ物にならないくらいにメンタル面だけでなく身体的な機能も落ちた母の介護は過酷でした。

介護保険を何度申請して、ヘルパーに入ってもらわないか?と提案しても父も母も否定的で

お父さんとあんたでやってよ、他人に家に入ってもらいたくない

あんたはそんなにお母さんのことを邪険に扱うの!?

と責められ、申請するまでに何年もかかりました。

そんな母をこの先いつまで介護しなくてはいけないかと思うと、私自身もおかしくなりついには鬱症状に悩まされることとなったのです。

姥捨て山があったら、きっと私は母を連れて行ったかもしれない・・・そんな不謹慎なことを思ったりしました。それくらい毒母の介護に疲れ果てていたのです。

なぜに毒母を看取ろうとおもったのか?

結果私は母を最期まで看取りました。

それは武勇伝でも親孝行でもなんでもありません。

母は最期まで私のなかで、

最低で大嫌いな母

には変わりまりません。

でも、母が亡くなる数年前に母の姉妹(私の叔母)たちから聞いた母の壮絶な人生を知った時、そして、母なりに不器用な子育てをしてきたことを自分が親となって知った時、最期はこの人に華を持たせて送り出すことが私の役目だと思ったのです。

逃げることもできました。でも、あんなにいつも喧嘩をしていいて仲が悪かった父が、懸命に母の介護をして、愛情すら感じるような母への献身的な姿に、父のためにも母の最期を看取る意味を感じたのも事実です。

ばあちゃん、もし生まれ変わってもまた俺と一緒になってくれるか?

そんな言葉を父の口から聞くとは夢にも思っていませんでした。

嬉しそうにうなづいていた母の姿に、私にはわからない夫婦の形を感じ、その最期のお手伝いをさせてもらえたら、そう思ったのも理由のひとつでもあります。でも正直、今でもあんなに何十年も母から受けた仕打ちに、今でいえばネグレクトと言ってもおかしくない仕打ちまで受けてきたのに、最期まで看取り、亡くなった時には悲しくて、しばらくは精神状態も不安定になるなんて自分でも驚きでした。

大嫌いだったけど、大好きだった

そうだったのかもしれません。愛してほしかった、見てほしかった、優しい言葉を沢山かけてほしかった、それは今でも思います。

終わりに

母を看取ったことは自分でもいまだに不思議です。でも、父の献身的な姿があったことが一番大きかったかもしれません。元々は父が大好きでお父さん子だった私・・・いつしか父とも距離が離れてしまい、父は母の味方なんだと思っていましたが、父は父なりに私や子供たちを色々な面で支えてくれ、介護の傍らに子育ての手伝いまでしてくれました。そんな父に何かの恩返しがしたい、そう思っていたのもあります。

もしかすると、母のためには口実で、父のために、だったのかもしれません。その本意は自分でもわかりません。母に対しては色々な思いは今でも沸いては来てるの繰り返しで悲しくなったり、怒りでどうしようもなくなったり、感情が揺れていますが、母なりの愛情のかけ方を不器用な人と思えるまでになりました。

不器用ながらも私を愛して自分の見える範疇で側に置いておきたかったのも、自分が母親になって子供たちが大きくなるにつれてわかるような気がしました。

でも、母を反面教師として意識して子育てをしているのはありますが・・・

母を看取ったこと、今では良かったと思います。逃げることもできたけれども、母を看取ることは自分の中で母との和解と思っています。

いつしか私があちらに行ったときにははとどんな会話ができるのか?

色々と大変だったことを暴露しあえたらいいな~と思えるまでになりました。

この記事は毒親を介護することを勧めている記事ではありません。選択するのはご自身・・・色々な家族のカタチがあって色々な毒親に対する思いがある・・・この記事が何かのお役に立てたら幸いです。

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