予想外の出来事
・同居している家族の急病
・家族の介護をしていた他の家族が何らかの事情で介護が出来なくなり急に自分が介護をしなくては
いけなくなった
・家庭内の生活環境の変化で自分が家族の世話や家事などを引き受けなくてはいけなくなった
など・・・
ヤングケアラーになるということは、予想だにしなかった出来事により、家族のために自分が頑張らなくてはいけない事情があすのです。
それはどうあがいても、自分が担わなくてはいけない、家族間の問題だから仕方がない、むしろ諦めるというよりも無理やり受け止める、そんな感じでしょうか・・・
現実を突きつけられる
私自身、母がパーキンソン病とわかってから我が家は母中心の生活になりました。今後の生活にどんなことが起こるのかを両親から詳しく説明がありました。
治らない病気になってしまった事
治療薬もなくただ進行を抑えるだけで次第に動けなくなっていく事
家事も出来なくなっていく事
そのために、家族の手が必要だと言う事
私は女だから母の事を支えなくてはいけない事
そして・・・
母の病気のことを誰にも話してはいけない事
そんな話でした。それは突然重い現実を突きつけられ生活が一変する瞬間でもありました。
勉強の妨げにならない範囲でお母さんの手伝いをして欲しいとは言われても結局母が調子が悪いときは
学校が終わったら早く帰り、母の体調を見守りながら、食事の支度などの家事をしなくてはいけませんでした。
これが今の我が家の現実
そんな絶望感に打ちひしがれそうになったこともあります。家の中が常に暗い雰囲気で笑うことすら許されないような空気感がありました。
ある日急に家族が・・・
そんな子供たちもいます。
ある日元気だったはずの親が倒れて、日常生活が送れなくなった。退院後、在宅生活に戻っても、もう今までのように、食事を作ってくれたり一緒に出掛けたりすることもできない。
急に病気が発覚し余命を突きつけられ他の家族と一緒に残りわずかな時間を必死に家族のために費やそうと頑張る子供。
そんな急な家族の事情により、自分の生活が一変してしまった子ども達もいます。
当たり前と思っていた生活が実は当たり前ではなかった
本当は普通に生活できることは幸せな事だった
そんな思いを若いうちから抱きながら家族のためにヤングケアラーとなって頑張るヤングケアラーたち。
私もまた同じでした。
母の病気を告げられて、両親から頼りにしていることを言われて今思えば逃げ場がありませんでした。
医療や介護の介入
私ならどんな支援をしてほしかったか?そして、自分がヤングケアラーとは思う事すらなく、当然ながら、当時は言葉もなく支援者の関心も薄かったため、どんな環境下で救いあげてほしかったか?考えてみます・・・が、ただただ、私と言う存在に気付いてほしかった、それだけかもしれません。でも、小さなSOSすら出すことが出来なかった環境でもありました。
それは・・・
親からは、絶対に母が病気だということは話してはいけないと言われていた
幼い頃から病弱だった母のために家事を手伝うのは当たり前の環境下で育った
母の病気が発覚後、負担がもっと大きくなることへ大変さを感じていた
進路や将来の事を母ありきで考えなくてはいけなかった
学校を休むことなどはなかったが、家にいると母の体調次第では勉強もできない環境下にあった
母のメンタルによってはそれに付き合うことも介護の一環だった。これが何より辛かった。
ヘルパーの導入、訪問看護、訪問リハビリ、デイサービス、等、介護や医療の介入は少しずつ増えていったのは、私が結婚して北海道を離れてからです。
それまでは私は介護者の1人としてがっつり母に関わっていました。もし私が両親の反対を押し切って結婚して北海道を出なければ、きっと介護保険を利用するには至らず、高校生の時と何ら変わりない生活を送っていただろうと思います。
介護保険の申請を何年もかけて両親に伝え説得してきました。誰もそこには介入してはもらえませんでした。
ヤングケアラー支援の難しさと奥深さ
そう感じます。彼らは純粋に家族のために日々を送っています。
何も感じていない子
これが普通と思っている子
家族の問題と思っている子
感じていても助けをどこに求めていいのかがわからない子
この生活を周りに話すのは恥ずかしいと思っている子
家族から周りに知られないようにと言われている子
虐待を受けながらヤングケアラーをしている子
などなど・・・
このような様々な環境下で、支援する側は様々な分野での協力関係が必要と思われます。
だからこそ、ヤングケアラー支援は慎重に行うべき課題と思うのです。