ヤングケアラー・どこまでをケアと言うのか?

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ヤングケアラーとは

このサイトでも何度となく取り上げているヤングケアラー。

ヤングケアラーとはこんな子供たちを言います。

一般社団法人日本ケアラー連盟より引用

この中で重要なのが、これらのケアをヤングケアラーと言われる子供たちが行うことで、生活が成り立っているという事です。逆を言うと、彼ら彼女らがいないと生活が成り立たないほど生活の中心的な存在としてケアを担っているという事なのです。

ちょっとした家族の手伝いとは違う

「今日は友達との約束があるから明日手伝うから!いいでしょう?」

「じゃあ仕方ないわね。明日頼むわ」

これで家族の生活がままならない事もなく、普通に友達との約束が優先されることが普通の生活です。

ヤングケアラーは家庭の中心的な存在なので、これが出来ないのです。家事などの役割を1日でも休むと、家族の生活が脅かされるほど、大事な役割を担っています。

私もそんな生活を何十年と送ってきました。

母のできない家事や雑務をしないと我が家は生活が成り立たない、勉強や友達との約束、自分の時間は後回し。しなくてはならない事を優先することで、自分のやりたいこと、夢は二の次三の次でそれが当たり前で家族だから仕方がない、そう思っていました。

ケアが必要な家族のために

ヤングケアラーはケアが必要な家族のために何でもしなくてはいけない事もあります。特にケアを必要としている家族の身体的精神的なサポートもそのひとつ。着替えや食事の世話、精神的なサポートと言った、子供には負担が重いようなケアもやらなければいけない事もあります。

とある方は精神疾患の母親の精神的なケアをずっと担ってきました。母親であっても子どものようにケアを必要とする時もあったそうです。駄々をこねる母をなだめたり、言われるがままに従ったり、警察にお世話になった母を迎えに行ったことも。それすらも感覚が麻痺しているため、おかしい家庭とは思わないのです。

ケアが必要な家族ために、必死に生活することで精いっぱいなのがヤングケアラーの中であるあるなのかもしれません。

私も成人して社会の仕組みや福祉を知るようになり、我が家のケアはもっと第三者の手を借りていいんだと気づいたほどでした。

誰しも自分の人生を生きる権利がある

私は自分の人生を母のケアありきで選択してきました。それが当たり前というか、その選択肢が我が家では普通だと思っていたので、反発はあっても最終的には仕方がないと思っていたのです。どこの家庭でも、多かれ少なかれ親の意向で子どもの人生は決められるのだろうとも思っていました。ただ、ケアラー視点の意味では我が家はちょっとズレていて、子育てにおいて、子どもの人生は親が決めることが子どもの幸せと両親の子育て方針もあったことで、ある意味がんじがらめになっていたこともあるのですが・・・

でも、それは違ったことに大人になって気づきます。母のケアありきの人生を送ってきたことで、何もかもがケアラーとしての視点で物事を見て選択してきたこと、親の思いはケアありきでの思いだったことに気づかされたのです。

子どもであれ、大人であれ、自分の人生は自分で決める自由があります。そこですべてが叶わなかったとしても、自己決定を出来る権利があると思っています。

特にヤングケアラーはその自己決定権をどうしても家族視点で家族に委ねがちなのかもしれません。ヤングケアラーの時点でそこに気づき、自分の人生をどう生きたらいいのか?を周囲に相談できる環境がある事もケアラー支援に必要な事なのです。

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