病気の家族を介護する子どもたち
ヤングケアラーの中には家族の病状をよくわからず、介護を担っている子供たちもいるのです。私も高校生の時に母がパーキンソン病とわかり、そこから介護生活が始まりましたが、当初は母の病気の事はよく分からず、両親からも
もう治らない治療法のない病気
としか言われませんでした。
母の病名もろくに知らず、聞いても治らない病気とした教えてもらえませんでした。それは、両親の配慮だったのかもしれませんし、子供だから説明してもわからないだろう、という思いからだったからかもしれません。
ヤングケアラーとは(厚生労働省)
※ 障がいや病気のある家族に代わり、買い物・料理・掃除・洗濯などの家事をしている
※ 家族に代わり、幼いきょうだいの世話をしている
※ 障がいや病気のあるきょうだいの世話や⾒守りをしている
※ ⽬を離せない家族の⾒守りや声かけなどの気づかいをしている
※ ⽇本語が第⼀⾔語でない家族や障がいのある家族のために通訳をしている
※ 家計を⽀えるために労働をして、障がいや病気のある家族を助けている
※ アルコール・薬物・ギャンブル問題を抱える家族に対応している
※ がん・難病・精神疾患など慢性的な病気の家族の看病をしている
※ 障がいや病気のある家族の⾝の回りの世話をしている
※ 障がいや病気のある家族の⼊浴やトイレの介助をしている
ヤングケアラーの中には、小学生の子ども達もいます。まだ幼い子供たちに病気の事を話すには躊躇する、そんな家族もいるでしょう。
でも、親や家族が病気であることは知っているのに、どんな病気かも知らされず、ただ介助や手伝いをしていることに不安が強い子もいるのは事実です。
ある子は、母親が心の病気とは知らず、母の妄想や幻聴などに当初は不安と恐怖を覚えたと言います。
病状や今の現状・現実を知ることも必要
私も、精神的に鬱っぽくなることや手足に力が入らなくなるなど、よくわからないままその日によって体調が違う母を見ながら手伝うしかありませんでした。
当時パーキンソン病は今以上に明確な治療法もなく、不治の病のような扱いだったのです。難病と言う言葉も恐怖でしかありませんでした。
母の病気への心構えが母以上に私もなかったのです。治らない病気のは母を目の前に、この状況がいつまで続くのか?この先病気が進行してしまうのかもわからず、そして何より、母の身体状況の悪化にどのように介助していいのかが、全く分からず、幻聴、幻覚に囚われる母の様子を見ながら、ただただ母の暴言や見えない何かに怯える姿を見ているしかありませんでした。
余命いくばくもない母親を小学生ながら最期まで看病した子がいました。その子は父と祖母からしっかりと母親の病状と余命を聞いており、覚悟を決めた姿に胸が締め付けられるような気持になったのを覚えています。でも母の余命を知っていたからこそ、ヤングケアラーとして祖母と父親の絆は深まったようでした。
ヤングケアラーに対して子供としての尊厳や子どもとしての生活を保障する傍ら、ケアを担わせるということは逆に1人の人間としてでも尊重するべき存在でもあるのです。
子どもの権利保障
家族を介護しているヤングケアラーにとって家族の病状や生活の現状を知ることで、自身の辛さが少しでも楽になることだってあります。その傍ら、子供としての権利保障も保持しなくてはいけません。
ヤングケアラーは、時には1人の人間としての尊重を、時には子供権利を保持するために、様々な視点から、ヤングケアラーに最低限の生活を保障してあげることが大切なのです。
中には家族の病状や生活の現状をしっかりと把握理解しながら、自分を置いてまでも家族のために頑張る子供たちも沢山います。
※ユニセフより画像引用
その中で、子供たちの権利保障はなされているのか?と言う疑問は拭えません。大事なのは子供としての権利を保障することと、時には子供の枠を超えて1人の人として尊重することがカギとなるのではないでしょうか?