ヤングケアラー相談窓口が全国初神戸市で設置された
ヤングケアラーについて、今までも色々な国の対応や計画が明示されてきました。
家族の介護を担う18歳未満の子供たちの事をヤングケアラーと言います。
国はヤングケアラーの実態を取り上げられるようになり、各自治体が独自で調査を行うなど家族の介護を担う若い世代が十分な教育を受けることが出来なかったり、家族介護から貧困に陥り、生活すらできない家庭など様々な課題が浮き彫りになってきたのです。
そんな中、自治体でいち早く神戸市がヤングケアラー専門の相談窓口を設置したのです。
今までは介護の相談窓口の受け口として、ヤングケアラーの相談も受け付けている自治体もありましたが、今回は子供、若者ケアラー専門の相談窓口として開設されたのです。
窓口としては、心理士や、社会福祉士、精神保健福祉士などの専門職が相談にあたると言います。
私もかつてはヤングケアラーだった
私も高校生の頃、母がパーキンソン病と診断され、そこから母の介護を32年間担ってきました。私自身、当時は母親が病気になった事、母の体調次第で学校から早く帰ってきたり、休みの日に出かけることにも左右される生活を恥ずかしい事と思い、仲の良い友達にすら話すことはできませんでした。
元々母は、パーキンソン病になる前から、病弱で寝込むことが多かったり、メンタルが落ちると妄想癖などがあり、その度に自営業を営んでいた父が母の代わりに家事を担っていました。私自身も小学校低学年位から、洗濯や簡単な料理を覚え、父が忙しいときは家事を担っていたのです。それが私の人生の中で普通だったため、高校生の頃に母がパーキンソン病と診断をされてからも、家族の生活自体は、元から母の心身の状態に応じて動いていたので特に変わりはなかったのです。ただ、私自身が思春期と言う多感な時期に差し掛かっていたことで、母が体調がすぐれなくて寝込んでいたり、妄想に駆られてあらぬことを言ったりする姿に、人様にそれを少しでも知られることは絶対に嫌だと思うようになっていったのです。
家族の介護を担うことが当たり前と思っている子供らしさを失った子たち
私の経験から、家族の介護を担う子供たちが、生活の中に介護というルーティンが当たり前になり、どんなに辛くても周りにヘルプ出すことに戸惑いや罪悪感を感じるのが、大人と子供との違いではないかと思うのです。子供はある意味純粋です。介護をするのが身内であれば、周囲に助けを求めることすらできない、そんな考えにまで及ばないはずです。
ヤングケアラー『もっと子供でいたかった』Yahoo!ニュースより
子どもとしてまだまだ親に甘えたい時期である中で、家族の介護が生活の中心となり、甘えたいはずの親を見ている場合は、親子逆転している家庭も少なくないのが実態です。
ヤングケアラー問題今後の課題は?
神戸市のように自治体がいち早くヤングケアラー相談窓口を設置している中、まだまだ課題はあると感じています。相談窓口からその子供への支援や家庭内への介入がどこまで出来るのかも、今後の課題となってくるでしょう。制度すら知らない子供たちからのヘルプに、家庭内へどのように介入するかは難しい課題と感じています。私は母にすら
周りにお母さんの病気の事は口外しないように
と念を押されていたこともあります。近所の人すら最初の頃は母病気のことを知りませんでした。そんなことを言われて育ってきたので、家族の事は外にしれてはいけない、そう思いひたすら隠し続けてきたのです。
母の病気発症10年後にようやく介護保険を利用することを説得できたのです。もし私が神戸市のような相談窓口に相談したとしても、そこから様々な人や機関が我が家に介入することは拒否していたでしょう。それは、母を裏切ることになるからです。それほど、子どもは親に忠実で純粋なのです。
ヤングケアラー相談窓口として今後の課題となることは何なのかを、私なりにまとめてみました。
①子供たちが相談できる窓口になっているか?
当事者である子供たちが実際にその窓口に連絡をしたり、相談にまでこぎつけるケースは私は少ないと感じています。私の経験上、家族の介護を担っていることが生活の中で当たり前になっており、相談することへの罪悪感だったり、そこまでに考えが及ばない子供たちもあると思うのです。電話やメールなど直接相談しやすいような配慮をしていたとしても、子供たちには『敷居』が高いはずです。
②様々な福祉の制度を利用したり家庭への介入ができるのか?
相談窓口からその子供が関わっている教育やその他の機関との連携は必須となっていくと思います。また、ヤングケアラー家庭の中には、子供たちが知らない介護保険制度などの福祉サービスの利用も出来ず子供が負担を強いられている家庭も少なくありません。家庭への介入問題をどうするのか?子供の相談から様々な機関や専門家への連携が取れるような支援を考えなくてはいけないと思うのです。
③教育機関やその子供が関わっている人や場所との情報の共有が出来るのか?
まず大切なのは、その子どもがきちんとした教育を受けられているかどうかです。時と場合によっては学校との連携も必要になってきます。学校側もその生徒が家族の介護を担っていることなどの家庭環境を把握しながら教育を受ける権利を保障できるよう、福祉と教育の連携が必須と感じます。学校を休みがち、遅刻しがちという場合においては、教育福祉との連携はなおの事必須です。
④子どもだけでない、家族ごと支援できる体制はできるのか?
母子家庭で母親が病気のため、子供が学校を休んでまで家事や兄弟姉妹の面倒を見ているといケースの場合、母親が働くことが出来ない、兄弟姉妹の育児もどうするか、など、様々な支援の手が必要となる場合もあります。福祉や教育だけでなく、生活保護の申請や、場合によっては子供たちの一時保護などで児童相談所が介入しなければいけないこともあります。そんな家庭のために、様々な機関が動けるよう、また、時には地域の目や手も借りながら、地域でその過程を見守っていくことも必要になると思うのです。
ヤングケアラー相談は自治体だけにとどまらず
介護を担う子供たちにとって、ちょっとしたことを話せる、吐き出せる場の選択肢は広いに越したことはないと感じています。私は当時通っていた高校にも当然母の介護の事は話せずにいましたし、話す必要性を感じていませんでした。
高校3年生の時、進路のことで家を出て遠方の大学に行きたい私と、家から通える大学にしてほしいと懇願する母と意見の食い違いで大喧嘩になったことがありました。母としては、ずっと私に面倒を見てほしいと願っていたのです。そこから私は、自分の人生の自由は全くなく、母の意見が優先で、母の介護ありきで今後の自分の人生を決めてかなくてはいけないという事に気づいたのです。母と喧嘩をし、家を飛び出して、当時実家を出てお姉さんと2人暮らしをしていた友人の家に行き、初めて母の介護をしていることを打ち明けました。彼女はうなづきながら、時には一緒に涙を流してくれ、共感してくれたのです。その時、第三者に辛い気持ちを吐き出すことで、自分はこんなにもストレスを抱えて毎日母の心身の体調を気遣っていたことに気づいたのです。生活の中に当たり前にあった介護は実はあたりまえでなく、自分を犠牲にしてまで頑張ってきたことなんだとその時初めて気づきました。そこに気づけたことは私にとって大きな一歩でした。自分を犠牲にしてまで母の介護をすることが果たして私にとっての幸せなのだろうか?と思いようになったのです。
私のように誰かに吐き出すことで、自分が今置かれている状況の整理が出来たり、心が軽くなることもあるのではないかと思います。
しんどい事すら気づかない子もいますし、それを言ってはいけないと思い我慢している子供もいるのです。
自治体の相談機関も必要ですが、身近な人や、当事者の集まりなどもこれからどんどん増えることで、相談できる、話せる選択肢を広げていくことも今後必要になっていくのではないでしょうか?ただ、ここにも沢山の課題があり、話せる場に来ることが出来る子供たち以外の『潜在的なヤングケアラーの支援』にまで考えを広げなくてはいけないと感じています。
【私が考えるヤングケアラー支援体制】
・当事者の集まり(同じ境遇の子どもたちの集まりで情報の共有や1人ではないことを知る)
・地域の見守り・相談支援体制(福祉の相談支援や民生委員等も見回り)
・子ども食堂の積極的活用(弁当の配達などで見守りも)
・心理士の活用(子供だけでなく家族ごとのカウンセリング)
・学校との連携(休みがちな子供への学習支援体制)
まだまだ課題は山積みですが、今後のヤングケアラー支援に注目しながら、少しでも家族介護を担う若い世代への支援や、救済が出来るような資源が増えることを願っています。
また、プリズムでもヤングケアラーの皆さんへの相談支援を行っています。