認知症への正しい知識と情報を得ること
今や、認知症について色々な情報と接し方などがネットなどで、調べるとすぐにわかる時代になりました。昔は痴ほう症と言われ、認知面が落ちることで、対処や知慮方針すら確立されておらず、隔離するように施設に入所させるなどのマイナスなイメージが大きかったようです。
今では認知症と言う言葉に変わり、介護する家族への情報や支援制度が増え、少しずつ認知症のこともわかる時代になってきました。
しかし、自分の親が認知症になってしまったら、と考えると、介護など家族が考えなくてはいけないことは色々とあり、在宅で介護をされている方は負担も大きいものです。
これだけ、認知症の情報が色々とあると、ちょっとしたことで、もしかするとうちの親は認知症かも?と逆に不安感を持ってしまいがちになります。
まずは正しい知識と、診断を受け、認知症とうまく付き合う方法を見出していくことが大事です。
過去の記事にも書いたように、認知症にはいくつかの種類があります。また、単なる物忘れと認知症も違う問うことを理解しておきたいものです。
私に父も加齢による認知面の衰えが少しずつ分かるようになり、受診をすべきか?否かを考えているところでもあります。主治医の元、定期的に簡単な長谷川式スケールお行ってくれ簡易ではあっても父の認知面がどの程度なのかを大まかに把握しています。今はギリギリの境界ですが、精密検査を受けるほどではないと言われています。
母が亡くなった直後は明らかに認知症のような症状が出ており簡易検査でも、認知症かもしれないという数値が出ていました。しかし、医師は
奥さんが亡くなったことで、一時的にこのような症状が出ていると思うので少し様子を見ましょう
と言ってくれ、半年、一年と様子を見ていきました。今でも、物忘れや、数字的なことへの認識が曖昧なこともあり、お金関係は管理が難しくなってきましたが、母が亡くなった時のような激しい認知面の症状は頻繁に見られることはなくなりました。
認知症のような症状が見られる場合
認知症の発症は少しずつ進行していくので、どの段階で認知症なのかがわからないケースも多いのです。そういえば、物忘れが酷くなってきた、とい言っても加齢によるものかもしれません。きちんとした診断を受けることをお勧めしますが、まずは高齢者の普段の様子を見ていくことが必要となります。
受診をするということは、ご本人に病院へ行くことを説明しなくてはいけません。その段階で認知症の検査をとなると、拒否をされてしまうことも多いのです。認知症の方に意思がないということはありませんし、判断力が低下していたとしても、意思をある程度尊重することは大切なのです。
認知症になっても、ご本人が病気と思わず、受診や投薬を拒否することもあります。認知症になっていると意識はなくても、物忘れが酷くなってきたかな、自分が今いる場所がわからなくなる不安など、少なからずご本人が自信が何だか違うということに気づいてはいるのです。ですので、受診というハードルが高いこともあります。受診までに時間をかけることも時には必要と思います。受診のタイミングやどのように伝えるかは様々ですが、ご本人の意思を尊重するような形で受信できることが一番ベストなのだと思います。
認知症の症状は以前の記事にも書きましたので症状については割愛させていただきますが、症状はあくまでも目安であり、診断は医師のもとで行ってくださいね。
認知症の方へどのように接したらいいのか?
過去に介護の仕事をしている時に、色々な認知症の方々と接してきました。その中でどの方も共通しているのが、その方の言動について、否定をしないということです。
特に家族であればなおのこと、ご本人の言動についイライラしてしまい、
違うでしょ!
今言ったでしょ!
などと、その方の言動を否定する言葉や態度をしてしまいがちです。私も、母の時もそうでしたが、父に対しても、さっき言ったことをもう忘れていることに対していらだちを隠せないことも度々あります。そうすると、父は逆に怒りをあらわにしたり、時には叱られたことに対してシュンとなったりと、可哀そうなことをしてしまいことがあります。親子であればなおの事、今まで自分を育ててくれた親が、立場が逆転して子供のようになってしまうことに、子供として、悲しさやむなしさを感じながら介護をしている方は少なくないかと思うのです。そうすると、親の言動にいらだちを隠せなくなり、何でこんなこともできなくなってしまったのか?という気持ちになることで叱ってしまったりするのです。
しかし、この接し方は認知症の方にとって逆効果であり、不穏や症状の悪化になることもあるのです。
訪問介護の仕事をしていた時に、認知症の女性の方がいらっしゃいました。ヘルパー事務所併設のサ高住に入居されたいた女性の方でした。私は、夜のケアに入らせていただいていたのですが、入室するとその日のその方の心身の状態がわかるのです。
認知症も日内変動があり、調子の良いときは、受け答えもしっかりしており、ご自身で身の回りのことを出来たり、やろうという姿が見られることがありますが、調子があまりよくないときは徘徊などの認知症の症状が強く出るのです。特に夕方になることから帰宅願望や不穏が見られる方も少なくありません。
その方は就寝準備で入らせていただいていました。調子の良いときは、私が行くと
来てくれたんですね、ありがとう
と覚えていてくださり、着替えやおむつ替えも積極的に協力してくださいます。しかし、不穏な日は、私が行くと、
どなたですか?間に合ってますからおかえりください!
と言われ、時には激しく拒否されることもありました。その時はうまく話を合わせたり、時にはご家族から頼まれて様子を見に来たんですと演技をすることでご本人が落ち着かれることもありました。
認知症の簡易検査、長谷川式スケール検査を開発した長谷川医師は、ご自身が認知症となり、認知症の患者側の思いを著書にしています。その中で長谷川医師は、認知症の患者は、常に自信がないと書かれています。忘れっぽかったり、自分が今どうなのかを客観的に見ることで不安や焦り悲しみが渦巻いてくる時があるというのです。
家族が色々と出来ない自分に対して言ってくることすら、悲しみや不安、焦りの要因となっていることも記しています。
親だからこそつい言ってしまう、そんなことを私も反省させられました。
認知症の親にやってはいけないこと
先ほどの注意をすることや、間違いを正そうとすることは逆効果だということは、何となくわかりますよね。いくつか、やってはいけない行動や言動は、実はご本人のために良かれと思ってやっていることの中でもあるのです。
脳トレ
脳の機能が低下しないようにと思い、本人が積極的でない場合でもやらせるという行動は逆に認知症の症状を悪化させることもあるのです。ご本人が意欲的に取り組む場合には問題ありませんが、周囲が強制すると、それがストレスになったり、出来ていたはずの計算や漢字の書き取りが出来なくなっているということを知り、自分はこんなこともできなくなったんだと、落ち込みからうつ症状を引き起こしてしまうこともあるのです。ご本人が意欲的に取り組もうとしない限り、脳トレを強要することは逆効果なのです。
家族が認知症であることを周囲に隠す
認知症に対する偏見は未だ全くなくなっているとはいえません、が、しかし、近年は様々な情報が広がり、認知症への偏見は昔ほど無くなってきています。家族として、周囲には元気だった頃の親のイメージを崩したくないなどの思いがあり、周囲に認知症であることを隠そうとすることは社会から孤立してしまう事にもつながりかねません。認知症であると診断を受けても地域包括などの介護の支援へ繋がることもなく、家族だけでの狭い世界で苦しみながら生活しているというケースも実際あるのです。それが高齢者虐待や、無理心中など、最悪のケースになることも少なくないのです。
細かい指摘や小言は逆効果
注意をするというわけではないけれども、生活の中で細かく伝えていくことを認知症の方にとっては混乱の原因となります。実際は出来ていなくても、ご本人は出来ているつもりなので、細かく指示を出されると混乱してしまい、自分の自信が無くなってしまうのです。できることはしてもらい、たとえそれが、違っていたとしても、やってくれたことを認めてあげましょう。
認知症の症状が安定しているということは、穏やかに生活が出来ている問う事なのです。ご本人にストレスがかかることで、不穏や問題行動が出るということが認知症の症状の一つでもあります。家族がストレスになってイライラしているだけでも認知症の方は様々な状況をわからないでいるようで、きちんと感じているのです。
介護する家族がストレスがない生活は難しかもしれませんが、認知症の症状が悪化していく背景を知っておくだけで、その対処方法が日々の生活の中で見つけやすくなっていくかもしれませんね。
終わりに
私たちは、いずれ高齢になると誰でも認知面の低下は多かれ少なかれ出てきます。これは絶対に誰でもありえる加齢に伴う現象でもあります。それが進行して認知症を引き起こすか、起こさないかだけのことで、認知面の衰えには変わありません。
また、元気だった親が、子供のように何もできなくなり、意思の疎通すらできなくなることへの悲しみや絶望感から少しでも機能が低下するのを防ぎたく、きつく注意をしたりと、言葉や態度で、どうしちゃったの!?と訴えてしまいます。
先にも書いたように、認知症の方は多かれ少なかれご自身が認知機能が低下しているということを自覚しています。我が子に出来ないことへの指摘を受けたり、親子が逆転して知っているということも理解しています。認知症の程度にもよりますがどなたでも感じているのです。
認知症を理解するというよりも、今の親を理解する、という見方で元気だった時の親だったらどんな思いでいるだろうか?という気持ちに少しでも寄り添うことで、どのように関わったらいいのかが少しずつ見えるかもしれません。
私の父は、認知症という診断は受けてはいませんが、確実に認知機能は低下しており、部屋がわからなくなったり、お金を数えられなくなったりと生活への影響はじわじわと出てきている状態です。何度も何度も同じことを聞いてくると正直イライラすることも度々あります。元気だった時の父を考えると、あの頼もしかった父と私の位置が逆転していることへの虚しさすら感じることも多いのです。でも、父がもっと元気だった頃、バリバリと仕事をして居た頃のことを考えると、父がことあるごとにつぶやく
どうしてこんな簡単なことが出来なくなっちゃったんだろうな…
という言葉に、父なりにあの頃の自分と比較して、それなりに努力しようとしていることが垣間見られるのです。それを時折確認するように、私自身も父への接し方をリセットし、新たに父を受け止め認めようと思いながら生活をしています。時にはストレスもたまりますし、何で理解できないの!?と苛立ち、口論になることもあります。
そのたびにリセットをかけながら父と接している最中です。多分、今後認知症としっかりとした診断を受けた時に、また我が家の新たな課題が出てくるかと思っています。それを恐れずに、その先の見通しを持った父とのかかわり方を模索している最中でもあるのです。